今月のトピック by 村本邦子

2014年1月 心理療法は政治的である。でなければ、心理療法ではない

同タイトルはペーター・シュミットによる論文で(Schmid, P.F., 2012)、著者はウィーンにあるジクムント・フロイト大学の所属である。そんな大学があることにも驚いたが、サブタイトルは「パーソン・センタード・アプローチは本質的に政治的な冒険である」で、内容はロジャーズなのである。しかも、結論は、第二派フェミニズム運動の主張だった”The Personal is political.”(個人的なことは、政治的なことである)をもじって、”The most personal is the most political.” (もっとも個人的なことは、もっとも政治的なことである)となっている。なんておもしろい。先行き怪しい日本社会と日本の心理療法界を憂える新年早々のトピックにふさわしいのではないかと思って紹介する。

ロジャーズは、70年代後半より「静かなる革命」という言葉で、PCA(パーソン・センタード・アプローチ)の政治的側面を主張するようになる。彼は政治をパワーとコントロールの問題だと考え、セラピストを専門家の位置に置きながらクライエントの自己決定を強調する諸アプローチの一貫性のなさを批判した。彼にとって、人間存在のイメージそれ自体が政治的なものであり、人が未来を構成していく傾向から疎外されたところに苦しみが生まれると考える。PCAの歴史を通じて政治的テーマを扱った人々は少なくないが、シュミットによれば、政治的気づきだけでなく、政治的行動に結びつけることが重要である。

マキアヴェリからウェーバーに至るまで、古典的政治理論では、政治がパワーの問題に還元され、政治は政治家の問題になってしまった。本来、”Politics”、「政治(学)」はギリシャ語の「ポリス」(都市)に由来する。アリストテレスの理解のように、人間は「本質的に市民的コミュニティに依存する」ポリスを志向する。人はコミュニティにあってこそ、その可能性を十分に実現し人間たり得、政治とはその目標達成のための秩序の創造である。政治には、政策(規範)、政治活動(過程)、政治組織(形式)の三つの次元があり、政治とは、政治組織を基盤に政治活動を通じて政策を実現することである。

何人も政治と無関係にあることはできず、心理療法も政策、政治活動、政治組織と切り離すことはできない。心理療法の政治において、政策、すなわち、それぞれの流派が何に価値を置いているのかが問題にされることは少ない。今日、心理療法やカウンセリングで行われていることには、適応やリラクセーション、助言、危機管理、望ましい結果を得るための行動変容、コーチング、救済などが含まれているが、解放という意味における人格発達と結びついているかという点から言えば、これらは心理療法と呼ぶに値しない。全体主義なのか民主主義なのか、マインドコントロールなのか解放なのか、権力の濫用と支配なのか参加と分かち合いなのか、あるいは患者なのか人なのか。心理療法家は政治的にどちらかを選んでいかなければならないし、他の学派と議論していくべきである。政治的でない心理療法家は現状維持に加担し、クライエントに有害である。

この論文に触発され、お正月はゆっくりとロジャーズを読んで過ごした。彼が個の尊重を徹底的に貫くなかで、各国政府要人たちのエンカウンターグループなど政治的行動へと導かれていったことがよく理解できた。海外から次々と新しい技法が紹介され、各種資格や認定は増える一方であるが、人が生きることはもっとシンプルなはずなのだ。専門家が活躍する社会は幸福ではない。政治家に政治を任せることなどできない時代だ。さしあたってなすべきことは、一人ひとりが自分の存在に含まれた政治性に目覚めることではないか。今年はその具体的方略を考えることを課題としよう。