スタッフエッセイ 2014年2月

くねくね道もまわり道も、楽しんで

安田裕子

近くの幼稚園に通い、卒園後は、地元の小学校・中学校で義務教育を受ける。高校に進学し、その後、四年制大学で学び、就職。

学校制度に即したかたちで、固有名詞を外して私の履歴をザックリと表現する。現代の日本の社会においては、学校制度のもとでの、あるひとつのパターン化された経歴であるとも言える。しかし、もっと細やかに表現しようとすれば、あるいは、光のあて方を変えれば、語りうることも語り方も異なってこよう。多くの人に共通するようにみえる経歴でも、その経験をつぶさに捉えれば、当人にとって意味のあるものとして浮かび上がってくるさまざまなことがある。学校制度という枠組みに型取られてはいても、決して画一的ではない、「私」の生きた歩みの個別性が明らかになる。さらには、その後のこと、つまり、就職した後の時間経過に着目すれば、また新たなストーリーが展開されもする。

干支がひとまわりする12年。12年という歳月、長いようであっという間であるようだ。12年前のこの時期のことを思い返せば、大学院でしっかり学びたいと、大学卒業後に就いた職場の退職を決め、残りの勤務日数をカウントダウンするような、年度末に差し掛かる頃。一方で、目指す大学院入学も確定していない、ある意味での崖っぷち。もっとも、主観的には不安定な感じではなかった。自らのキャリア形成を考えあぐね悶々としていた状況を経て、一番星として目指す未来展望が明確になっていたからかもしれない。とはいえ、大学院に入学しなければ思い描く未来展望にも近づけない・・・という点では、切迫感も焦りもあった。しかしその後、年度の最後の月、めでたくも大学院で学ぶ道が確定し、今に至る一歩となるスタートラインに立つこととなる。それから12年。これもまた崖っぷちも迷い道も綱渡りもいろいろとあったけど、歩み続けるそのときどきで、誰かに支えてもらいながら、必ず何かがもたらされた。

この数ヶ月、とある大学で、ライフサイクルについて学ぶ講義を担当する機会をいただいた。その講義は、最終的には「ライフサイクル」と「アイデンティティ」と「キャリア」について考えてもらうことを目標に内容を構成した。大学教育の文脈では「キャリア」といえば「就職」のことであると考えられがちかもしれない。しかし、ここで留意していただきたいのは、キャリア形成とは決して就職に限定されるものではない、ということである。ドナルド・スーパーによる「キャリア発達理論」は、人は学校卒業時点の一時点でのみ職業選択を考えるのではなく、生涯にわたって連続するキャリアを考えるべきである、というもの。「キャリア発達」という言葉には、人の、生涯にわたって何度挫折しても活路を切り開いていくというレジリエンシーな有り様が強調されている。授業の一部では、とりわけ、大学に入るまでに限定して、自分たちの意思決定のプロセスに焦点をあてて検討する機会を設けたが、個人の重要な選択に接近するそうした作業と講義全体から、自らの生き方を、そして他者の生の軌跡を、文化や社会状況を背景にライフサイクル全体に位置づけて、総体として考える場として学びを得てくれていたようである。そのときどきに等身大で、社会に向き合っていこうとする青年期の学生の、過去・現在・未来のつらなりのなかで生きようとする尊い有り様に触れ、私も随分力をもらった。

干支の12年のサイクルを何度か経験する年齢になってくると、晴れの日も雨の日も、はたまた大雪の日もあるということが、そして、天気は必ず移ろうのだということが、実体験としてわかってくる。生きていくなかで、難しいことにチャレンジすればするほどに、できなさはついてまわることだろう。失敗が度重なればなお、がっかりしたり、自らの力不足を不甲斐なく思ったり、やる気を失ってしまうことも、あるかもしれない。環境が過酷で、体調を崩してしまうことだって、ありうる。しかし、大事なことにベクトルを向けていくことによって、着実に、何かになってゆくのではないかということも、見聞を含む経験から築き上げた私の価値観から、伝えたいことである。取り組んでいることによっては、成果が見えにくいことだってあるだろうし、遅咲きの花だって、実を結ぶのに時間がかかることだって、たくさんある。もっとも、必要に応じて、最初の目標を軌道修正してもよいだろう。自分にとって大事なことであるのなら、その目標に自らの身体を差し向けて、一歩を踏み出し、しかし道草も休憩もよしとしながら、ただいまを生きていけるといいなあと。時間経過のなかで成りゆく可能性を秘めている人として、いくつになっても。改めて、人の生きる力の尊さを、まぶしく思う今日この頃である。

(2014年2月)