スタッフエッセイ 2014年1月

変るもの、変らないもの

下地久美子

小学生のとき、可愛い便せんや千代紙、シールなどをたくさん集めていた。放課後に友だちとどこかの家に集合して、それぞれのコレクションを見せ合ったり、交換をおこなっていた。当然ながら、その頃は携帯電話もパソコンもなかったので、友だちと毎日のように手紙のやり取りをしていて、可愛い便せんや封筒がいくらあっても足りないような感じだった。一番気に入っている便せんは、最後まで使わずに取っておいた。自分が箱いっぱいに集めた綺麗なものや愛らしいものを、ときどき取りだして眺める時間は、甘やかで、ワクワクするような満たされた気持ちになった。今でも、雑貨屋さんで、素敵なデザインのレターセットやポストカードを見つけると、つい買ってしまうが、子どもの頃のようなときめきって、もう戻ってこないなぁ〜って思う。

少し年齢が上がると、きれいなガラス瓶を集めて、棚いっぱいに並べていた。他にも、ガラス細工の置物とか、こまごました可愛らしいグッズが、部屋にあふれていた。いつの間にか、そんな宝物もガラクタになって忘れ去られていったけれど・・・。

年末に、大掃除をしていたら、学生の頃によく聴いていたカセットテープが、何百本も出てきて、時代を物語るなぁ〜と懐かしかった。ユーミンやサザンをはじめ、洋楽もよく聴いていた。リー・リトナー、イーグルス、ブルース・スプリングスティーン、ダイアナ・ロス、ライオネル・リッチ―、クリストファー・クロスから、なぜかビル・エバンスまで、趣味はバラバラながらも、人から「この曲いいよ〜」と勧められれば、せっせとレンタル・レコード屋さんに行って、借りてきたレコードをカセットテープに録音していたっけ。あの頃は、音楽のない生活なんて考えられないと思っていたが、今では、もう何年もCDを買っていないし、だいたい音楽を聴くためのオーディオ機器さえもない。

当たり前の話だが、好きなものや趣味というものは、年齢やその時代の流行の影響で、どんどん変わっていくものだなと思う。すごく好きだったものが、そうでもなくなっていくプロセスも、ある意味、成長のしるしなのかな。

自分の外側の世界は、そうやって変っていくけれど、一方で、自分の内側の世界というものは、あまり変わらない気がしている。これは、うまく説明できないが、もって生まれた性質のようなものというのは、小学生の頃も、それから何年もたった今も、本質的には何も変わっていない。おそらく外側から見える性格は、ずいぶん変わってきたと思うが、自分が感じている自分というものは変わらない。

時々、「今の自分を変えたいんです」と相談されることがあるが、趣味が変ることはあっても、自分を変えることなんてできないんじゃないだろうか。というよりも、変える必要なんてない気がする。「自分」という核を持ちながら、外側の世界に合わせて、態度を変えるとか、行動を変えるというのをすればいい。そうじゃなければ、周りに流されて自分を見失ってしまいかねない。

そのままの自分を愛するのは難しい。でも、ダメな自分も、できない自分も、自分自身が受け入れてやらなければ、いったい誰が受け入れてくれるだろう。もちろん、私も、自分の性格の「あそこを変えたい」「ここも直したい」って、変えたいところは数々あるけれど、変らない頑固さというか、自分の中の重しのようなものがあるというのが安心の拠りどころにもなっている気がする。

(2014年1月)